いいそびれていただけのことばで
「詩的状態ないし詩的感動は(……)一世界、すなわち関係の完全な体系を、知覚しようとする傾向のうちに成立する」ポール・ヴァレリー
「ある本を読んでいるとき、興味がもてないからではなく、むしろ逆に、おもいつきや刺激や連想の波が押し寄せてきて、読書の途中で絶えず立ち止まる、というようなことが、かつてなかったであろうか?」ロラン・バルト
いつだってここにあったしここにあるたったひとつを離せずにいる
かたちとか色とかわからなくなってしまうまでにはもう少しある
見えていて当然だとは思わないでも見たくない見てしまうんだ
平気です平気だってばちりぢりになるより早く拾っとくから
かけがえのないものはないかけがえをあるものとしてそっと飲みこむ
知りたいと思った夜があったから知らずにいればと思えたりする
変わらずに異なることを繰り返す 難しいから時間がかかる
見たようで見られたようないくつかを薄らいでゆく九月のみどり
不意打ちのつもりじゃなくてただずっといいそびれていただけのことばで
ぐーすかぴーすか
むかしむかし世界中のありとあらゆる夢がいっせいに反乱を起こした夜のこと、僕は西へ、彼女は東へ歩き出し、それから何千年何万年何億年と会ってない。いろんなことがあった。太陽と月と星がやってきて海が肥え陸が出来、雨がふったり風が吹いたり花が咲いたり変なやつらが繁殖したかと思えば絶滅したりし、そのたびに地層が厚みを増していった。爬虫類の群れがどしどし走ってきて猿と激しい闘いを繰り広げていたら冬が来て、そんでもって冬が来たままだった。みんないなくなった。生き物も生き物じゃないやつらも。僕は雪と氷と化石の上をあてどなく歩いてゆきながら、ときどき彼女のことを思い出す。
*
夢見た夢と夢見られた夢の速度はいつもぴったりと重なり合うようでいて必ず少しずつ食い違っている。夢の中は当然現実と時間も空間も異なっているけれど新しい夢それ自体は古い夢と記憶と物語で出来ているわけで、整然と並べられた大量の本というよりは、輪郭はつかめるのにどこに何がどうやって書かれているかもわからない分裂症気質な一冊の本だ。ふと開くたびに書いてあることが変わらずに変わり書いてあることを繰り返さずに繰り返す本。文字列を目で追うたびに書いてあることが漸次更新される本。
読もうとしたら書かざるをえず書こうとしたら読まざるをえないような、書くことと読むことがコインの裏と表みたいに組み合わされて離れなくなっているその営為を人は夢見ることと呼ぶ。
多義的な夢を見たし見るし見つづけている。明るく暗い夢があり暑くて寒い夢があり近くて遠い夢がある。正義であり悪である夢があり面白くってつまらない夢がある。ひとつの箱に押しこめられたいくつもの風船がかたちづくる、限りあるごくわずかな隙間にも似た何かで、多義的な夢を表そうとしても決して表せないのは多義的な夢がただ単にあまりにも複雑すぎるからだ。
夢は不可能性によって規定されている。常識的な人は常識の文脈にそって夢見る。
彷徨ったり泳いだり走ったり歌ったり苦しんだり涙を流したり耳を澄ませたり。どんなに変わった人であってもせいぜいがところだれかを殺したりする程度が関の山で、背中に羽を生やそうとしたり毒虫になろうとしたりするとその人は非常識な人だと看做される。だけど非常識な人だと看做すその判断は常識に基づいているのだから、非常識な人は非常識なりに文脈にそって夢見ていて常識的な人にその文脈が読めないだけであるという可能性は常に残りつづける。
常識的にありえないいくつかのことをその実ありえないと思っていない人はたぶんそれなりの数いるのだろう。
だけどごくまれにありえないことなどないと思っている人とありえないことしかないと思っている人がいる――心の底から。前者は夢の中で生き続けることになるし後者は夢を知らずまた理解することすらできずに一生を終えることになる。
「子供の頃からひとつの夢を見続けてるの。」と、あるひとはいった。
「いつどこでだれとどうやって待ちあわせたかも思い出せない待ちあわせの場所を求めて海のよく見える河岸段丘の町をさまよってて、朝焼けとも夕焼けともわからないけれど空がいちめんオレンジ色のグラデーションで海がそれをきらきらと反射しててすっごくきれいなんだ。舗装のまだされていない細かな砂の道がときに急にときにゆるやかに傾斜しながらクモの巣上にはりめぐらされてて道の両側は丈の高い生け垣で、あたしは眩暈のしそうな濃い緑の迷路をあっちに曲がりそっちに曲がり、待ちあわせの場所を見つけるどころか海にたどり着くことすらかなわず迷うために迷っているみたいにいつまでも歩きつづけてる。道端にはときどき意味ありげなものがあった。酷く歪んだカーブミラーがあり上向きの矢印の標識があり直角に折れた電柱があった。どうにも読めそうで読めない平仮名らしきものがえんえんと書き連ねられた看板があった。立派な犬の置き物があり強い力で引き千切られたと思しき緑のフェンスの一部があった。あたしは待ちあわせの場所にたどり着くための何かのメッセージをそれらからくみ取ろうとしたけれどそのいずれもに意味がありそうでなかった。生け垣の向こう側からはいつの間にか失くしてしまったり忘れてしまったり飽きてしまったりした何かの気配がする。あたしはたぶんそこでなら自然と疎遠になった人だとか、憧れるばかりで近づくことさえできなかった人だとか、好きなのに嫌いだといって会わなくなった人だとか、いずれにせよたくさんの人といっしょにいられてるはずなのに、いったいどうすれば生け垣の向こうまでいけるのかわからないから、あたしは涙をぽろぽろこぼしながらひとりぼっちで目をこすってぼろぼろのサンダルをひいてさまよいつづけてる他ないんだ。」
夢は町で、町は人の夢で出来ている。町はあそこにあれが欲しいやらあそこにあれを建てたいやら、そうゆうたくさんの人の好き勝手でいつの間にかかたちづくるともなしにかたちづくられてしまうもので、この町はこうしようあの町はああしようとだれかがどれだけよく考えた上で町をかたちづくっても長過ぎる時間とその間の人の欲望がそれを無に帰してしまう。集合的無意識と呼んでもいいし機械状の欲望と呼んでもいいし何でもいいけれど本当にしっくりくる呼び名は夢、をおいて他にないだろう。
ひとつの惑星の上のそこら中であぶくみたいにはじけて消えてはまた生まれを繰り返すたくさんの人の夢。アメーバか油の染みのように這い回りときに分裂しときに統合されるたくさんでしかもたったひとつの人の夢。
記憶術師は頭の中の町に記憶を蓄えておくのだという。記憶を何かしらのものに対応させ、そのかけらで建物を建ててはひとつずつ付け足してゆくといつの間にか町が出来上がっているという寸法だ。記憶術師ほど確固たるものでなくとも人がだれしも頭の中にじぶんだけの町をもっているのだとしたら、ひとつの町とひとつの町がふとした拍子につながって、だれかが夢の中で別のだれかと出会うような奇跡がいつかどこかで起こっていても不思議ではないと思う。
「こんばんは。」
「こんばんは。」
「あなたは私の夢ですか?」
「君があたしの夢なんでしょう?」
ふたりはしばらく首を傾げあう。おかしいね、おかしいね、と。
「私があなたの夢だとしたら。」
「あたしは君が夢から覚めたら消えてしまうの。」
「いやだな。寂しいな。」
「うん。」
「もしそうなら夢を見つづければいい。」
「できるの?」
「できるとも。」と、彼はにっこり笑う。
「だってどちらにせよどちらとも――。」
「そうか、そうだよね。」と、彼女は気づく。そしてほほえむ。
「君もあたしも君とあたしの夢だものね。」
そしてふたりは夢の中で恋をする。
あるいはこんな空想はあまりにもロマンチックだと笑われるかもしれない。馬鹿なことをいうなよ世間知らずめがと。俺の夢は俺の夢であって他のだれの夢でもないんだよと。正しすぎるほど正しいと思う。
でもこんな空想を夢見た夢がだれかをほんのちょっとだけ幸せにしないとも限らないだろう?
「ほらあたしがいった通りでしょう?」と、彼女はいった。
「こんなにもたくさん間違えてきたくせにまだ間違えるつもりなの。」
僕は彼女と手をつないであの日と同じで違う月の照らす夜道を歩いている。
「じぐざぐに移動したりあとずさりしたりしちゃうんだ。」
「そうしていろんなことを忘れてゆくんだね。」
「少しずつ近づいてゆきたいとは思う。」
「忘れたことをも忘れる。何もかもうまくいかなくて時間がかかる。」
「ああああああ。」
「だからわからなくなっていっちゃうんだってば。」
「もう一度だけ、あともう一度だけチャンスが欲しいんだ。」
「えー?」と、彼女はいたずらっぽく笑う。
「どーしよっかなー!」
彼女は僕の手をぱっと放す。た・た・た、とステップを踏んで距離を取るとくるりと向き直り、両手を後ろに隠したままでこういってほほえむ。
「こうしてるだけで夢みたいだって、そう思わない?」