よってしたがってゆえにたとえば

ユーレイに恋をして朝から逃げる。

 

いつどこでだれと約束したのかもわからずそもそもどのような約束だったのかも思い出せない、だけどとにかくものすごくたいせつな約束だったことだけはおぼえている約束の、たくさんで、しかもたったひとつのまちあわせの場所をもとめて、あたしは夜な夜なユーレイの町をさまよってる。

ものごころがついてからというものその町の夢ではない夢をみたくてもみられずに、その町の夢ばかりをみつづけてるっていうわけ。

同じ町の夢しかみられないことがこんなにも退屈でつまらないことだとは、あんたじゃ想像がつかないと思うけどね。ただ単に、目覚めかたがいまいちよくわからないから目覚めないだけで、だれしもいずれは目覚め、夢をわすれ、わすれたことをもわすれてしまうとわかってるのに、夢の中でかかる時間を退屈せずにいることがどうしてできるっていうの?

 

ユーレイの町は寒くて暗くて、なにより寂しいとこだ。

この町からずっとはなれた土地にある。

一年じゅう雪がふってて、でもどんなにはげしくふりしきってもふりつもりはしなくてね。道がやたらといりくんでて網目状に土地にしがみついてる。すれちがうのもやっとなほどきゅうくつなんだ。

しかもどうやら道と角と交叉点の配置をたえまなく入れかえてるみたいなんだよね。

今までなんどもまがったことのある角をまがっても、角の向こうがいつも通りのとこだとはかならずしも限らなくって、まったく見覚えのないとこだったりぜんぜん関係のないとこだったり、最悪、崖の先の方だったりする。

身体じゅうの細胞がこぼれおちてゆくのと同じ速さで組織をくみたてれば、外からみたらその場にとどまってるだけにみえるでしょう?

それとおんなじ。

みかけのうえで静止してるていをよそおってるだけで、ほんとはうまずたゆまず作動しつづけてる。痕跡の町。灰の町。パランプセストの町。かたちづくられたものは存在しない、かたちづくることの連鎖とその円環しかないっていうのに。

 

月のきれいな日だと甃がよくみがかれた鏡みたいに光りをはねかえしててね、ときどき魚とかアンモナイトとかの化石をみっけられるんだ。

 

町のいちばん中心にあるとかいう時計塔をどこにいてもふりあおげるんだけど、これがまた変わっててさ。

針はうごいてるとこをいちどもみたことがないし、文字盤はどの角度からあおぎみてもこっちを向いてるし。

目指しても目指しても、いや目指せば目指すほどたどりつけないもんだから、時計塔を目指してるとよりいっそうそこがどこなのかわからなくなっちゃうんだ。

そうゆうわけで、あたしはできるだけ時計塔をみないことにしてる。

 

ユーレイの町はユーレイのための町。一晩じゅうあたしをさまよわせておくための町。

今ここにあるものが一瞬で取ってかわられ、いつもあらかじめ取ってかわられつづけてゆく町。

取ってかわることをくり返す取ってかわりあいのあいだにも、取ってかわるたびにただひとつであるべきはずのものがいくえにも上書きされ、ひらたくなってうすらいでいってしまう町。

ねえあんた想像してごらん。

人もモノも顔があるべきあたりに目を向けてもふしぎと像がむすべなくってあたたかみがなくて厚みがなくて、たちあらわれてはゆらめくだけなんだ。人もモノもユーレイそのものなんだ。

 

その夜はいちだんとひえこんだ夜だった。

例によって例のごとく町をあてどなくぶらついてると、中尉がトレンチコートのポケットに両手をつっこんで、ややうつむきがちに、だけどはなうたまじりで向かいからやってきた。

こっちに気づくと半分の顔ですこしおどろいたような顔をし、それからふてきな笑みをうかべ、やっほーひさしぶりだなっていった。

今度はいったいどんなつらいことがあって俺を呼びだしたんだ?

人に頼ってばっかだと、あとでつけがまわってくるぜ。ただ齢をとるだけじゃ大人にはなれねえんだからな。

 

中尉はむかしからの知りあいで、いやなことがあったり、どうにもならない問題の前でとほうにくれたりしてると、ふらりとあらわれてはぶつぶつ文句をいいながら話をきいてくれる。

顔のない人しかいないユーレイの町で、うっすらとではあるものの中尉は顔をもっていて、だからたったひとりのともだちなんだ。

うっすらと顔がある、あるいは半分だけ顔があるっていう状態をいいあらわすのはかなりむずかしくってね。

かろうじて像が結ばれつつある状態、結んではくずれをたえまなくくり返してて、結局いつまでたっても結ばれおわらないような状態――といえば、いくらか近いかもしれないね。

 

そうそう、はじめてあったとき中尉はなまえをもってなくて、だからあたしが中尉っていうなまえをあげたんだ。

 

今日からあなたは中尉さん

今日からあなたは中尉さん

大尉の下で少尉の上の

ごきげんななめの中尉さん

 

今日からあなたは中尉さん

今日からあなたは中尉さん

愛想がなくて

気が利かなくて

帽子が似合う中尉さん

 

あたしがくちずさむようにそういうと、中尉は半分の顔で困ったような顔をし、なまえをもらうとなまえを呼ばれるたびになんだかうれしいような、気恥ずかしいような、むずがゆい感じがするなっていった。なまえをもってる人はみんなこうゆう感じをおぼえながらなまえを呼びあってるものなのか?

あたしはそんなこと考えたことすらなかったからどうこたえたらいいかわからなくてね。

ほとほとまいっちゃった。

あたしにとってなまえはなづけられるものじゃなくて、気がついたらもってるものだったんだもの。

 

うーん、うーん。って長いこと考えこんでいたら突然おっきな手で頭をくしゃくしゃにされた。

なにをするーって見上げると中尉は半分の顔でにっと笑って、とにかくありがとな、おじょうさんっていった。

あたしはうれしくなって、うんっていった。

ところでどうして中尉なんだ?

どうせなら大佐とかたいしょーとか、もうすこしえらいひとにしてくれてもいいんだけどなって訊かれたから、

第一にチューイっていう音のひびきがいいし。

第二に尉っていう漢字がすてきだし。

最後になにより中尉がいかにも中尉だぜっていうふんいきをしてるんだものってこたえてやった。

中尉は、なんだそれーっていってずっこけてみせた。

いかにもわざとらしかったけどそのわざとらしさがかえっておかしくてわらった。

中尉がつられてわらって、結局ふたりそろってわらった。

 

きたねえのは顔だけにしろ。

っていうのが中尉のくちぐせで、あたしはそういわれるたびに女の子にきたねえとかいうなーってむくれてて、だけどまあ、そういわれるのにはそういわれるなりの理由があったんだ。

いつもそうだった。

口にすることはくだらないことばっかでも、その実だいたいにおいて正しいんだ、中尉は。

 

あたしはだだっぴろい平野をながれる河のほとりで生まれ育った。

とにかく流量の多い河で、数十年前台風かなんかで氾濫しかけたときはおおさわぎになったらしいけど、あたしが生まれてからはとくべつそうゆうさわぎはなかった。

上流の方の治水がよくなったのかもね。

ひらべったい弧をみっつ連ねたかたちのピンクいろの橋がかかってて、となりまちにあそびにゆくときはいつもそれをわたってゆく。

その橋のなかばから河をみわたすのが好きだった。

北の山の方からカーブをえがきながらくだってくるひとつづきの流れの、空をうつしだしてみなもがかがやく感じとか、河べりや中州の緑のにじむ感じとか。

野の花が堤防いっぱいに咲きほこり、赤や黄や白やオレンジの、しっとりとぬれたようなあざやかさで河をいろどる感じとか。

花びらがいっせいに風でまいあがって、えもいわれぬにおいとともに鼻先をかすめてゆく感じとか。

ひとつずつ挙げはじめたらきりがないけどね。そうしたぜんぶをひっくるめてその風景が好きだったんだ。

他の人からすればたぶん日本じゅうどこにでもあるような、ありふれた、なまえのない風景なんだろうと思う。

小説にも絵にもなってない風景。

名所からはほどとおい風景。

見晴らしのよさより退屈さの方がきわだってみえる風景。

だけどもしその風景がなまえのあるものだったら、あたしはこんなにも惹かれはしなかったんじゃないかとも思うんだ。

 

その風景はとくべつなものではなくて、だからこそかけがえがない愛おしいものだった。

あたしがいて、その風景があった。

あたしにはそれだけで充分だったんだ。

 

あたしのおとうさんはあたしが八歳のとき再婚した。

それまで女親を知らなかったから、義理とはいえおかあさんが家にやってきてどうしたらいいかわからなかった。

あたしのほんとのおかあさんはあたしを産んですぐ死んだ。

おかあさんすらっとしてきれいだったから頭のおかしい人にずっと前から目をつけられてたらしくてさ。

これはおっきくなってからきいたはなしなんだけどね。

買いもの帰り、だったかな。

おなかをつづけざまに三、四回刺されて顔を切りつけられて、だけどなんとかあたしをベビーカーからかかえだすと近所の薬局の中に逃げこんでね。

痛い痛い痛いってもだえくるしみながら、それでもあたしのことが気になってしかたがないらしくって。

あ。申しおくれたね。あたし中島優理っていうんだけどさ。

――ユーリは、ユーリを。

ってうわごとみたいになんどもつぶやいて、そんでもっていやだーっていって息絶えたそうな。

おかあさんを刺した人は警察にかこまれてにっちもさっちもいかなくなって、結局じぶんで首を切って死んだとかなんとか。

おかあさんのことはぜんぜん覚えてないのに、いやだーって声だけはなんとなくおぼえてる。哀しそうとかくるしそうとかそうゆう感じじゃなくて、怖くて怖くてしようがないっていう感じの叫び声だった。

おかあさんはいったいなにがそんなにいやだったんだろう?

わけもわからず死ぬことか殺されて死ぬことか。

家族をのこして死ぬことか。

あるいは、ただ単に死ぬことか。

そんなのわかりっこないけどあたしはときどきどうしようもなく考えてしまうんだ。

 

ふふ。はなしがずいぶん脱線しちゃったね。

で、義理のおかあさんともうまくうちとけられないしおとうさんともぎくしゃくするし、どうしたらいいのかわかんなくなっててさ。

そんなときあたしを支えてくれたのが、義理のおかあさんについてきた五つ年上の中学生のさーちゃんだった。

さーちゃんはゆっくりとしたていねいなしゃべり方をした。色白でやせこけててさ、背丈が一五〇センチくらいしかなかった。

つるりとしたきれいなおでこをしててね。あたしがさわりたがると最初の内はこらこらっていってよけるんだけど、さーちゃんおねがいです、さーちゃんおねがいですってしつこくたのみこむと、まったくもうしかたがねえなーっていってなでなでさせてくれるんだ。なんでもたのまれるとことわれない人だった。

 

さーちゃんはあたしとあそぶとき以外はずーっと本を読んでて、その大半がわけのわかんないむつかしそうな本だった。

 

好きになれないんだよね、本。

映画やアニメならほうっておけばストーリーがすすむでしょう?

本はめくらなくちゃいけないしさ。

肩はこるわ目は悪くなるわ、ろくなことがないじゃん。

だいいちどうしてみんな本のときだけ本のことばをつかうの。

なんとかである、とか。なんとかなのだ、とか。

い抜きやら抜きでしゃべってる人はたくさんいるのに、どうしてい抜きやら抜きで書かれてる本はぜんぜんないの。

語りと内容の速さがおんなじなのに、どうして時制がばらつくの。

どうして人のこと君。って呼んだりするの。

どうして私。って私はわらった、だの、私は傘をさした、だの、いちいち私。を主語にしないと気がすまないの。

どうして私。ってそろいもそろって自意識過剰なの。

どうして私。って私。私。私。なの。

どうしてこんなに本がきらいなのかについては、高校生のとき現代文の成績がちっともよくならなかったことに対するルサンチマン――ってルサンチマンの使い方があってるかどうかわからないけどさ。

とにかくそうゆうわだかまりのせいで文句をつけたくなる説、有力。

 

あたしがうまくねむれなかったり人恋しくなったりすると、さーちゃんはときにあたしをやさしくゆすりながら、ときにあたしをなでながら、すっとねむくなるまでいろんなおはなしをしゃべってくれた。

胸がおどるようなおはなしがあり、切なくなるおはなしがあった。

思わず考えこんでしまうおはなしがあった。

ナンセンスなおはなしがあり、ちょっぴり怖いおはなしがあり、頭がこんがらがってしまいそうになるおはなしがあった。

そのどれもがひとつのこらずおもしろかった。

どんなにありふれたおはなしであってもどんなに陳腐なおはなしであっても、さーちゃんが口にすると脇役がいきいきとしはじめ、挿話がわすれがたくなった。おはなしのありとあらゆるこまやかなぶぶんがきわだった。

――おはなしにいっぱいふれなよユーリ。

ってさーちゃんはよくいった。

あたしたちはじぶんでじぶんをおもしろがって、おもしろがりながらおもしろがらせてて、ある意味おはなしの中を生きてるようなものなんだ。

そのおはなしはたえまなく編集されてるようでもある。完結してるようでもある。

だけどたいせつなのはね、ユーリ。

あなたがこれから先どれだけどうにもならないできごとに直面しても。

どれだけ不条理なできごとに直面しても。

どれだけ意味のわからないできごとに直面しても。

それをこばんだりさけたりばっかしてるんじゃなくて、しっかりとうけとめて糧にし、あなただけのやわらかでしたたかなおはなしをつくりあげてゆくことなんだ。

 

さーちゃんはあたしとおんなじせっけんをつかってるはずなのに、あたしとぜんぜんちがうにおいがした。採りたてのれもんみたいにさりげなくてせいけつで、なによりすごくいいにおいだった。

さーちゃんのからだはつめたく、あたしのからだは熱かった。

あたしはふとんの中でさーちゃんにぴったりとくっついて心臓がからだに血をおくりだす音をきいてて、そのメロディーはさいしょのうち、重なりあっては食いちがい、食いちがっては重なりあいをくり返すふたりぶんのテンポで織りなされてる。

身をよせあって長いあいだじっとしてると、

――ここにいるよ、ここにいるよ。

ってさーちゃんに呼びかけられてるような気がしてくる。こっちも呼びかけかえさなくちゃーって思えてくる。なにをあせってなにをためらってるのかそれすらわからずに心臓が高鳴ってくる。

ふたりぶんのテンポは速まりながら交錯し、だんだんと重なりあってゆく。その呼びかわしの最果てでひとりぶんのテンポになる。

境い目がほどけてとける。

あたしなのかさーちゃんなのか区別がつかなくなる。