ぺらぺらぺら

 

 

ユーレイに恋をして朝から逃げる。

彼女の物語は端的にいえばそれだけの物語だ。それ以上でもなければそれ以下でもない。起承転結を述べるだけだったら数行で済むだろう。

にもかかわらず彼女の物語はあまりにも長く、あまりにも時間を食いすぎる。

なぜか。

無駄な寄り道ばかりするからだ。

物語の筋は枝分かれを繰り返し、必然性なく中断したかと思えば別の筋が始まり、筋と筋が交錯し絡みあって、まえぶれなく元の筋へと戻ってくる。

前言撤回ばかりする。

語り口は冗長で間延びしていて、肝心なところが曖昧だったり、意味のないところが細密だったりする。

そんな物語は読みたくないという向きはあるだろう。もしくは、そんなのは物語ではないという向きがあるのかもわからない。

どうしてせっかくの時間を弛緩した物語のせいで浪費しなければならないんだ。

それと同じだけの時間があれば友人と語らいあったり恋人と愛しあったり、あるいは難解で重厚な学術書を読みこんだりできるはずなのに、と。

――きわめてまっとうな意見だと思う。

じぶんの意思によらぬ遠回りは多くの人をいらだたせるはずだ。理由がなければなおさらだろう。

遠回りをおしつけておいて開きなおるつもりはない。心の底からもうしわけないと思う。

 

実際、彼女の語り方は真剣さから程遠いものだった。

そもそも余談だったのだ。

彼女は喫茶店の窓際の席でほおづえをついてややきつめのたばこを喫いながら、それこそ夢でもみるかのような目つきでぽつぽつとしゃべってくれた。

どこまでが本当でどこからが嘘なのかもわからない。ぜんぶがぜんぶ嘘なのかもわからない。

いずれにせよ、彼女の混沌としたおしゃべりを人前にだそうとするのなら、より洗練されたかたちで語りなおすべきだったのだろう。

しかし、だ。

彼女の冒頭のことばを拝借し、その向きへの返答としたい――(目をふせながらきこえるかきこえないかくらいの声で、だけどきっぱりと)物語は長ったらしくてあたりまえのものなのだ、と。

彼女は遠回りとしての夢をたいくつでつまらないといったが、中尉とわらいころげたりQとたわむれたり、遠回りの夢、あるいは夢の中の遠回りについてしゃべるときはいつもきげんよくしゃべってくれた。

遠回りは合理的な方法だけをえらんでいたらであうことができないものと、どうしようもなくであってしまう可能性を高めてくれる。

それは人であったりモノであったり、場合によっては欲望であったりする。

 

遠回りは非合理的で不必要であるがゆえに偶然性へと開かれている。

遠回りが最短ルートではないがために、

どれだけ遠回りしようと、いかに遠回りしようと結局は遠回りであるようにして、

夢が遠回りであったとしても遠回りのし方はいろいろとあるはずであり、

遠回りのし方によって、であうものがちがうとか、

であわないものがちがうとかどうしようもなくたちあらわれる特別なおもしろさがあるからこそ、

みんながみんな疑似的な夢をみたがるのではないか?

いつもあらかじめ嘘であるがゆえに無力であり、

無力であるがゆえに無責任であり、

どのようなことであっても語ることができ、また語らないことができ、

そして無責任であるがゆえになによりも責任をもつ、

あの物語とよばれるなにものかによって。

 

――物語が長ったらしくていったいなにが悪いのだろう?

始まりから終りまで暗唱したくなるような、一字一句もらすことなくすばらしい文章が読みたいのだったら詩を読めばいい。

メタ的な変なトリックをたのしみたいのだったら手品を学べばいい。

どこからでもどうやってでも読むことができるから物語なのだ。

物語はそもそも非合理的で不必要なものなのだ。

したがってこの物語もまた、どんな読み方をしてもらってもかまわない(私のつくった物語ではないが)。

適当なページから読んでも最後の方だけ読んでも、一息に読んでも一生かけて読んでもジグザグに読んでも、

読んでいないのに読んだ気になってもかまわない。

物語を読む必要がないように、物語を読みきる必要もまたない。

物語はどのような読み方をも許容するほどすごいものでありすごくなくてはならないものなのだ。

 

――さっそく開きなおってしまった。少々でしゃばりすぎたようだ。

この物語は彼女のおしゃべりを文字に起こしたものであって、私は声と文字のあいだのフィルターでしかない。

本当は存在しないもののもったいぶったお説教こそ物語の中で読者のであう、もっとも無粋なもののひとつだろう。

フィルターはフィルターらしく、これから先は透明になろうと思う。

本当であればこの文章はのせないはずだったのだが、

彼女が

じぶんのどうでもいいおしゃべりばっかだと気恥ずかしい、

せっかくなんだからあんたもなんかのせなよ、

としつこいので、全体の量にくらべれば微々たるものだとわりきってしかたがなくのせることにする。

 

――いくらなんでも世の中をなめすぎてるよ、

みっともないからやめなってば、

と今度はいわれたが、なに、かまうものか。このなめくさりっぷりが私なりのスタイルなのだ。

ぐだぐだな幕間になってしまったが、とにかく彼女のおしゃべりにつきあってあげてほしい。願わくは最後まで。